青竹職人 井上克彦 

各地を放浪して探したすえ この川のそばに
Weaving Bamboo Baskets by the River Woven Bamboo

水俣は決して「海の街」ではない。水俣市の八割は山。里山には、竹林が多い。
そんな静かな山里に、日本の伝統工芸品の美しい竹細工をつくる職人がいる。
彼は、もともと大手商社のビジネスパーソン。インドNGOなどで働いた経験もある。
そんな彼がなぜ、水俣で竹細工職人になったのか。
(by Minamata Impact)

Minamata is not a “city of the sea. Eighty percent of Minamata City is mountains. In the satoyama, there are many bamboo groves.
In such a quiet mountain village, there is a craftsman who makes beautiful bamboo works, a traditional Japanese craft.
He was originally a businessperson at a major trading company. He also has experience working for an Indian NGO.
Why did he become a bamboo craftsman in Minamata?
(by Minamata Impact)

以下、水俣市企画・監修「水俣堂々」より抜粋。
The following is an excerpt from “Minamata Dodo” planned and supervised by Minamata City.


強い日差しのなか、麦藁帽をかぶって畑仕事に専念している人の姿を見つけ、これから訪ねようとする家のありかを聞いた。家らしい家の姿が見えなくて迷ったのだ。
「ああ、すぐそこです」
と、説明を受け、山あいの細い農道を進んでいくと、青く広がる水田の先に見えたのは、民話の世界だった。ほとんど周囲の樹木に溶けこむような一軒家。
「何年も倉庫に使っていた空き家でした。こころよく貸してもらいました」
ようやく辿りついた一軒家の主は物静かな口調で言う。ここを住居兼仕事場としている竹細工職人、井上克彦だ。竹細工には水が要るので川沿いの空き家を探していた、と。たしかに近くを水俣川水系の久木野川の清流が流れている。ということは、そもそもは水俣在住ではなかった?
「ええ、そうです」

What waits for us at the end of a narrow agricultural path in the hills, beyond a blue expanse of rice paddies, is a world out of a folktale. A house stands, almost blended into the surrounding trees—the home and workplace of a bamboo craftsman. Bamboo craftsmen need water, he explains, which is why he had been looking for a vacant house by the river. And sure enough, this house is right nearthe Kugino River, which feeds into the Minamata River.

遠く神奈川県の出身だ。大学を出て、大手商社に勤めた。だが、経済また経済の世界になじめなかった。退職後は、アジアやアフリカの開発途上国を訪ねたり、国際協力組織NGOに参加しインドで活動したりと、何かを模索する数年を過ごしたのち帰国して、
「職人という生き方をしたい、とぼんやり考えるようになりました」
組織に組みこまれず、自分の手仕事だけを生業とする、そういう生き方。その思いが感傷的な憧れだけでなかった証拠に、道を求めて単独行脚を始めたのだ。おもに西日本を中心に、木工などの職人の実際を訪ね歩いた。2週間ほどほっつき歩き、資金が乏しくなったらアルバイトして金を貯め、また行脚へ。
そうした日々のなか、あるとき旅先の宿でテレビ番組を観た。竹職人の名人のドキュメントだった。
「観ていて気持ちが固まりました」
竹をやろう。竹を編むことで生きていこう。
なぜ、竹にそこまで惹かれたか。ひとつは、この細工品がとても素朴でシンプルであること。そしてもうひとつはーここが大きなポイントだが、作る人も使う人もふつうの人、つまりアーティストが作り趣味人が使うのでなく、あくまでも生活必需品であるという点だった。

He was born in faraway Kanagawa Prefecture. Upon graduating college, he began to work in a large trading company, but could not adapt to finance, or the world of finance. He began to dream about living as a craftsman, and was drawn to bamboo crafts in particular.
“What attracted me the most to this craft was the simplicity of the material. And that both the people who make them and the people who use them are just ordinary people. What I mean is that these aren’t made by artists for specialists; what I make is used in everyday life.”

竹細工の現場を求めて放浪がつづく。そして水俣にたどりついたのは、ちょうど30歳のときだった。旅の途上で水俣に滞在しているときに直感があった。さほど多くない人口のなかに、竹職人が3人もいる。これは竹が現役の生活文化であるあかしだ。その直感は正しかったことになる。
「全国を歩いてきた実感ですが、農具でも漁具でも暮らしのなかでこんなに籠を使うところはぼくの知るかぎりありませんでした」
春の筍採りに始まって、茶摘み、鰻獲り、梅干しづくり・・・と竹籠は現役をつづけている。 水俣よりもずっと山深いところでもすでにプラスチックだらけの暮らしだ。古いものがよいもの、という頑なな信仰ではないけれど、歴史ある道具の奥の深さは尊敬すべきだと思う。この地に居を定めようと決めた。よい師匠に弟子入りを許され、3年間の修業暮らしをつづけて独立した。

水俣では竹籠のことを「じょけ」と呼ぶ。「ご飯じょけ」はご飯を入れておく籠、「一斗じょけ」は研いだ米をあげて水を切る籠、「かれてご」という背負い籠も使われている。
師匠は他界し、他の職人も引退し、現在水俣でたった一人の竹職人である。ちょっと壊れたけん、直してくれんね、と近所の人に頼まれて修理もする。
「ふだんから米も野菜もお世話になっていますから・・・・・・」

テレビは置かない。まちから離れ、不便な暮らしではある。が、こうして竹を編み、人の役に立てていられることに不足はない。
「職人気質だなんて、たいそうなものではありませんが」
気負いがないという点で、どこか竹に似ている。完成した当初は青竹特有の淡い緑であるのが、時を過ごすうちに茶色味を帯び、やがて数十年経つとつやつやとした飴色になる竹籠。その変化は暮らしの歴史そのものなのだ。
水俣には「環境マイスター制度」がある。平成10(1998)年に環境モデル都市づくりの取り組みの一環としてスタートしたものだが、井上もその一人に認定されている。

He travelled around Japan looking for the place to live, and had just reached 30 years old when he came to Minamata.
“After walking all across Japan, I’d never been to a place where so many people use bamboo crafts. Bamboo is used everywhere here—in the fishing and farming industries and in everyday life.”
In Minamata, they call bamboo wares jo-ke. Rice jo-ke is a basket to store cooked rice. Itto jo-ke is a basket to wash your rice. Karetego is a basket to carry on your back.
He became an apprentice to a well-known master and worked under him for three years, then set up a workshop on his own. Now, he is a famous craftsman with a long waiting list.

環境マイスター
Environmental Meister

水俣市では「安心安全で環境や健康に配慮したものづくり」の推進と、職人のさらなる地位と意識の向上を図ることを目的として、平成10(1998)年に日本初の取り組みとして「環境マイスター制度」を確立した。
マイスター(Meister))は、ドイツ語で職人の親方、名人、達人という意。現在(平成28年)まで。32名の環境マイスターが活動中。いずれも、原料、生産、加工、販売、廃棄物のどの工程においても、自信を持って、環境や健康にこだわったものづくりを進めている職人だ。

In 1998, Minamata City implemented the “Environmental Meister System,” the first of its kind in Japan, in an effort to “foster crafts that are healthy, safe, and ecological,” and help increase both the societal status and societal awareness of artisans.
“Meister” is a German word that means master craftsman. As of 2015, thirty-two Environmental Meisters have been appointed, all of them master craftsmen with complete and utter confidence in each step of their creation processes, and whose processes are ecological and sustainable.

青竹細工
水俣市古里428
Tel 0966-61-9555

AODAKEZAIKU
Furusato428,Minamata, Kumamoto
Tel 0966-61-9555

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