水俣市立水俣病資料館 

起きたことに学び ここに生きる希望をつくる
The Theme: Living with Hope

2020年9月、一人の男が天に召された。男の名は、北村義典。
建築家にして、パリダカールを含めたラリーレーサー。そして、水俣病資料館の建築士である。
公害の加害者と被害者が一緒に住むこの水俣で、どのようにしたら、水俣病で起こった悲劇を正面から伝え、そこから未来に向かえるのか。
それが資料館を作った人々の挑戦だった。

過去から学ばずして、希望のある未来はない。
人はボールを高く投げる前に、低くしゃがむ。
だから、低く深く地について、ちゃんとその悲劇の声を聴くのだ。
未来に向かって高く高くボールを投げるために。
(by Minamata Impact)

In September of 2020, a man was called to heaven. The man’s name is Yoshinori Kitamura. He was an architect and a rally racer who participated in the Paris-Dakar Rally. He is also the architect of the Minamata Disease Museum.
In Minamata, where the perpetrators and victims of pollution live together, how can we communicate the tragedy of Minamata disease from the front and go from there to the future?
This was the challenge of the people who built and created the museum.

Without learning from the past, there is no future with hope.
Before throwing a ball high, one must crouch low.
Therefore, we must crouch low and deep in the ground and listen to the voice of the tragedy, in order to throw the ball higher and higher into the future.
(by Minamata Impact)

以下、水俣市企画・監修「水俣堂々」より抜粋。
The following is an excerpt from “Minamata Dodo” planned and supervised by Minamata City.


エコパーク水俣の北に位置する明神崎の小高い丘にふたつの施設「水俣病資料館」と「水俣メモリアル」が、八代海を見下ろすように建っている。
明神崎は水俣湾を北西風から遮るように東から西へ延びる岬だ。かつては台風や冬の風の強い日にも、この岬に守られて漁ができた。水俣湾は埋め立てられたが、八代海に面した北側には自然海岸が残っている。

水俣病資料館は、海を望む瀟洒な建物だ。周囲の敷地は広々と心地よい。陽が当たると敷地と建物全体がまるでひとかたまりの光の束のように浮かび上がる。水俣病の経緯を整理し、多くの人びとにその歴史と教訓の正しい理解を得てもらうことを目的として平成5(1993)年にオープンした。

Positioned to the north of Eco Park Minamata, Myojinzaki is a cape that stretches east to west, as if to protect the Minamata Bay from northwesterly winds. This cape had once provided protection, allowing fishermen to go out into the bay to fish even during typhoons and strong winter winds. Minamata Bay has since been filled in, but part of the natural coast remains on the north side, facing the Yatsushiro Sea.

On a low hill along that coast are two facilities—the Minamata Disease Municipal Museum and the Minamata Memorial. The former, located on a comfortable and spacious property, is housed in an elegant building with a view of the sea. When lit by the sun, the building and the land itself appear to float like a bundle of light. The Museum was opened in 1993 to organize the timeline of Minamata disease and promote a correct understanding of the disease’s history.

何が起きたかの実態、どう推移していったかの現実、さまざまな角度からのきわめてよく整理された説明がパネルや映像、写真を使ってつづく。この館には、国内だけでなく世界175の国と地域から公害・環境学習のために人びとが訪れている。

順路のスタートは、出来事以前の海のようすだ。
「このあたりは〈魚湧く(いおわく)海〉と呼ばれ、魚が産卵のため集まるところでした。水俣川水系がたくさんの栄養豊富な土砂を運んできて、それがプランクトンを育てる。そういう場だから、まるで湧いて上がるように魚が獲れた、というところからきた呼び名です」

資料館職員草野徹也の解説だ。水俣病発生以前の、つまり汚染される以前の海の光景、人びとはどういう生活をしていたか、というところから話を始めないとあの出来事は語れない。パンフレットにはこうある。「起きたことに学び、ここに生きる希望をつくる」。

企画展示室の隣に「語り部室」がある。オープンの翌年から始まった語り部制度は、患者および患者家族が自らの体験を通じてこの「公害の原点」を語り継ぐことを目的としたものだ。

Next to the special exhibition room is a “storyteller’s room.” This room, which was established a year after the Museum was opened, aims to ensure that Minamata disease victims and their families can tell share their experiences, thereby passing on stories to visitors about the origin of pollution.

その日、語り部室は京都から修学旅行でやってきた中学生たちが聴衆だった。語り部は無添加のいりこなどの漁業を営む杉本肇。
「はるばるようこそ。京都は暑いですか、水俣も暑いでしょう」物静かに、ちょっと緊張気味の中学生たちに語りかける。
網元だった祖父母そして両親が相次いで水俣病を発症するなかに生まれ育った。自身も被害者と認定された。亡母も語り部だった。母は、授かりものという意味の「のさり」という語を使い、いいことも悪いことも受容するというこころを語りつづけた。

いっときは東京でデザインの仕事をしており、33歳で水俣の海に帰ってきて漁師を継いだ杉 本は、それだからこそこの海への敬愛は強い。男ばかり五人兄弟の長男、その幼い兄弟たちの日々が語られると中学生たちは耳をそばだてる。語りの特徴は、明るく澄んでいるところだ。悲劇を強調しない。むしろ意図的に排除している。事実だけを自分の言葉でていねいに語る。
多芸の人だ。「やうちブラザーズ」という名のコミックバンドを結成し、エンターテインメント活動も繰り広げている。「やうち」は水俣の言葉で「身内」。弟と従弟とによるトリオなのだ。太鼓に合わせ、杉本の作詞作曲による歌が披露されると、その会場は笑いの渦となる。宴会芸だ。
「漁民はリズムに乗りやすい。踊って歌って、騒ぐのが大好きなんですね」
さすがに語り部室ではその芸は披露されないけれど。

語り部室の時間が終わると、講壇のうしろのカーテンが開けられる。中学生たちから一様に「うおっ」と声が上がった。眼前に、目を開けていられないほど明るい海が広がっているのだ。
「あれはエンディングの決まりごとです」
資料館職員は言う。
「重い気持ちで帰ってもらいたくないので、〈希望の海〉のあかしを呈示します」

語り部室から出た中学生たちは、もういちど館内の展示をゆっくり見学する。語り部の話を聴いてからあらためてそれらを眺め、読むとスッと身体に入ってくるのだ。

最後に、引率の先生が生徒たちを座らせて、みなさん、今日はどうでしたか、と微笑みかける。そして、思いがけないものの朗読を始めた。

「2012年、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた地球の環境について話し合う国際会議のなかで、南米のウルグアイからやってきた大統領が行ったスピーチがあります。その大統領は質素な背広を着た、世界でいちばん貧しい大統領という愛称です。その一部を読みますね。聴いてください」と前置きをし、読んだ。

「いまの文明はわたしたちがつくったものです。わたしたちは、もっと便利でもっとよいものを手に入れようと、さまざまなものをつくってきました。おかげで世の中はおどろくほど発展しました。しかしそれによって、ものをたくさんつくって売ってお金をもうけ、もうけたお金でほしいものを買い、さらにもっとたくさんほしくなってもっと手に入れようとする、そんな社会を生み出しました。
そうしたしくみをわたしたちはうまく使いこなしているでしょうか。人より豊かになるために競争をくりひろげる世界にいながら、『心をひとつに、みんないっしょに』などという話ができるのでしょうか。だれもが持っているはずの、家族や友人や他人を思いやる気持ちはどこにいってしまったのでしょうか」(『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』-汐文社)

朗読を終えた引率の先生は、そのスピーチの解説などはいっさいせず、さあ、以上です、帰りましょう、と生徒たちに促した。生徒たちは立ち上がる。入ってきたときよりもどことなく元気なようすで館の外に出る。語り部室で度肝をぬかれたと同じように、目の前に青く光る海が広がっている。

Access

水俣市立水俣病資料館(https://minamata195651.jp/)
熊本県水俣市明神町53(Google MAP) 駐車場あり
Tel 0966-62-2621
開館時間9:00~17:00
休館日 毎週月曜日(祝祭日の場合は、翌日),年末年始(12月29日~1月3日)

Minamata Disease Municipal Museum(https://minamata195651.jp/)
Myojin-cho53, Minamata, Kumamoto
Tel 0966-62-2621
Open  9:00am-5:00pm
Closed  Mondays (if Monday is a national holiday, the following day will be closed)
Year-end and New Year’s holidays (Dec. 29 – Jan. 3)

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