水俣で子供を生んでみた・育ててみた2:産後直後と新生児ケア/石原明子

 出産後というのは交通事故全治2か月と同じくらいの体への負担であること、そのくせ、新生児を抱えた母親は授乳や子供のケアで24時間体制でほとんど寝られないことなんて全く知らないで、新生児の母となった。お乳の上げ方はもちろんのこと、おむつの変え方、沐浴も仕方、新生児に何を着せたらよいかも全く知識がなかった。

 そんな私をみて、出産前から、私より6カ月前に出産した先輩ママの仁美ちゃんが、しまむらに連れて行ってくれて、授乳しやすい服や子供用のおむつなど、一緒にそろえてくれた。
 さすがに無知でのんきな私も、どうやら産後は一人暮らしでどうにかなるものではないらしいということがわかってきた。出産予定日1カ月くらい前、水俣に住む子育て経験のある女性の友人たちや、子育て経験がなくても関心をもってもらえそうな友人たちに声をかけて、産後のヘルプの体制を相談をした。4人くらいが集まってくれて、交代制で、一訪問500円のワンコインで産後ケアを担う体制を友人たちがつくってくれた。食事は、水俣の先輩ママで作り置き料理が上手なKさんにお願いすることになった。
 産後は、小さな小さないのちと二人きりでわからないことばかりで、、、とにかく、交代で来てくれた産後ケアチームの友人たちがなければ、乗り越えられなかった。

 1カ月くらいしたときに、身体のためにも、心の健康のためにも、家の外に出た方がいいと、大橋助産師に進められて、外に出るようになった。その時によく通ったのが、今は泣きオーガニックエスニックレストラン「たねー’s」であった。水俣に移住してきたタネさんが、みなまるキッチンというシェアキッチンを活用して、健康に良いランチのお店をしてくれていた。授乳中に体に悪いものは食べたくない。そんなときも安心して食べられる食材で、私が大好きな味で、そしてランチに行けば、新生児用のゆりかごも置いてあるという場所で、文字通り、心身のオアシスだった。

 もう一つなくてはならない助けになったのが、大橋助産師の訪問ケアだった。大橋先生は、西洋医学の知識と経験も深いが、クラニオセイクラルの技術をもち、その施術を毎回してくださった。その時間が、常に小さな命との間で緊張の中にあった私を深い「ゆるみ」の中に迎い入れてくれる貴重な時間となった。その「ゆるみ」の中で、本当に何も割らない中での小さな不安から大きな不安まで、すべてを聞いてもらい、答えてもらい、少しずつ安心を得ていった。

Writer Akiko Ishihara
ライター/石原明子
東京生まれ。水俣で、娘を育ててながら、熊本大学で教員として働く。「対立や葛藤から未来を拓く」紛争解決学が専門で、水俣や福島の人々の葛藤と再生、そこから紡がれる未来への示唆の研究をしている。
Born in Tokyo. I am raising my daughter in Minamata, working as a teacher at Kumamoto University.
Opening Up the Future from Conflict and Conflict, specializing in conflict resolution studies.
Researching focuses on the conflicts and rebirths of the people of Minamata and Fukushima,
and the implications for the future that can be drawn from them.

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