
わっぱ飯と水俣駅前/S.A.(エチカ福島)
プログラム初日―2025年8月9日。
午前中のフィールドワークを終え、街場から少し離れた高台にある「もやい直しセンターおれんじ館」へ移動。福祉サービス等を推進する交流センターのような施設で、西洋風で洒落た屋根が特徴的。人っ気がなく静かな館内を通って和室の一室に通された。疲れていたので、畳に寝そべりたいと思う。
午後のプログラムの前のひと時。
昼食に出てきたのが蒸篭(せいろ)ご飯だった。とっさに会津を思い起こした。蒸篭飯は、会津では“わっぱ飯”。郷土料理のひとつ。こっちでも、わっぱ飯というのだろうかとぼんやり思った。
蒸篭ご飯は、縦に積まれ紐で括られ、上の底板が下の蒸篭の蓋の役割を担っていた。役割を解かれた蒸篭が各人に配られた。水俣のわっぱ飯は、会津で目にする観光客向けのものより飾り気がなく落ち着いているように見えた。
頂いてみる。
一口食べると実直においしい。優しい味付けだ。程よい塩味は心地よく、疲れた体に染み入った。余計な味がしない。
そう、この後「余計な味がしない」が、水俣で出会ったおいしいもののキーワードとなる。
蒸篭ご飯は、水俣の最初のおいしい出会いだった。この後も、おいしい出会いが続くとは思ってもいなかった。

”わっぱ飯”の前の水俣フィールドワークはどのようであったか。
午前中は永野隆文さんの案内で水俣市内を見て回った。広大な敷地の旧チッソ(JNC)・初めて見る不知火海・百間排水溝・水俣病資料館・エコパーク水俣・実生の森・水俣病という名称に反対する立て看板。
そして、水俣駅。今は、薩摩オレンジ鉄道線。何ともあか抜けない、だけど、ぬくもりと懐かしさを感じる駅だ。その昔、国鉄の頃は、列車に魚の臭いが充満するほど魚の行商人で混み合ったという。
余談だが、この駅舎に比べると、昨日降り立った新幹線新水俣駅は、鉄筋コンクリートでなんか冷たい。生活の匂いがしない。深海の底のようなさみしさを感じる。東北の新幹線専用駅舎もだいたいこんな感じだ。
田舎の新幹線駅は、本数も少ないから閑散としている。周りの風景に馴染んでないような印象がある。
さて、水俣駅の駅舎を眺めてから回れ右すると、そこに旧チッソがある。信号機のある国道の交差点を挟んで100mちょっと先、駅に正対するように旧チッソの正門が構えている。
昭和24年、昭和天皇巡行の際には、水俣駅からチッソ正門まで赤じゅうたんが敷かれたという。多くの人々が日の丸を振って迎えたのだろう。多くの人々があの門をくぐって工場で働いた。やがて水俣病が発生し、多くの人々がこの正門前で激しい反対運動を行った。
この駅前の景色を、冷静に受け止めることは難しい。
水俣駅に帰り立った人たちは、駅舎を出るときにチッソが目に入っただろう。やがて、工場ができる以前の景色が思い出せないほど、チッソは日常の風景に溶け込んでいく。門扉の向こうには工場の広大な敷地が広がっている。広大な敷地だ。
でも、さらにその向こうには不知火海がある。
工場よりも広く、なによりも美しい豊かな海。不知火海。
工場ができる前の水俣を想ってみる。工場が建つ以前は、駅前から不知火海が見えていたのだろうか。
Writer S.A. (Primary School Teacher in Fukushima)
ライター/エチカ福島 S.A.(福島県公立小学校教諭)
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。











この記事へのコメントはありません。