緒方正人さんの言葉に触れて/深瀬幸一(エチカ福島)

 水俣への旅も4日目(8月11日)、交流プログラムの終盤に、緒方正人さんのお宅に伺った。正人さんは水俣で最もお会いしたかった方の一人であった。今回の旅は天候に恵まれず、前日の天草や熊本では「線状降水帯」が発生したという報道に、同行者たちと旅の中断についても話し合われた。しかし、当日はなぜか水俣地区だけは豪雨を免れ、予定通り、正人さんが生まれ育った「水俣から少し北のほうにある(熊本県)芦北町の女島という小さな漁村」にあるお宅を訪れることができた。お話を聞き終え、外に出た時には雨はあがり、お宅のすぐ前の不知火海の小さな港から遠くに青空が見えた。

 僕が緒方正人さんの『チッソは私であった』を読んだのは、東日本大震災・原発事故から10年近くが経ってからである。その時の驚きは忘れない。正人さんの「人間の罪」という言葉が僕を揺さぶった。今回の訪問では、正人さんの声で、正人さんの「狂い」の体験について、その後の「運動からの離脱」そして「チッソは私であった」という認識に至った経緯についてもお聞きしたかった。「チッソは私であった」というのは、正人さんの本を読む限りでは宗教的な「啓示」のように僕には思われた。

「狂い」の体験については次のように語られた。

 私は、「闘い」に20歳ぐらいから関わってまして(略)その「闘い」というのは、水俣病事件の責任を取らせなければならない、あるいは親の仇討ちをしたいとずっと思ってました。ところが、長い間やっていくうちに、誰が相手なのか分からなくなっちゃったんです。(略)結局、相手が見えなくなったとき、「自分とはいったい何者か」がわからなくなった。

 1985年の1年間はもう非常に苦しみ、3ヶ月ぐらいはもうめちゃくちゃ狂いました。(略)精神的な狂いですね。ものすごい孤独を感じました。(略)一体「自分は誰と何をかけて戦っているのか」。その「自分とは一体何者なのか」。

 そして正人さんは「「ゼロの出発点」に立ちかえるために、認定申請を取り下げるということを、それまで運動を一緒にやっていた人たちに表明」する。

 認定申請を取り下げるということまでは、そんなに苦しくなかったんですよ。それは手、続き、社会の制度、社会の仕組みの上だけでしたから。(略)その時に問いが生まれました。もし自分がチッソの中にいたとしたらどうしただろうか。これは、それまでなかった問いだ。私はそれまでは被害者側の運動の中にいたわけですよね。だから、誰も責めないわけ。自分が問われることはなかったんです。

 正人さんは、それまでの自分の立場を「何ら問われることのない「安全地帯」だったと思いますね」とも言われた。だから「自分で自分の梯子を外した」。

 人から梯子を外された方が楽です。(略)自問自答していこうとすると、もう24時間つきまとうわけです。寝ても覚めても、寝ることすら自由ではなくて、もうほとんど悪戦苦闘の連続だったんですけど(略)百回でも何万回でもその問いに答えてもまだ襲ってくる。もう血反吐を吐いてもまだ問われるっていう。あの時、やはり一番問われていたのは自分自身だった。

 正人さんは、「私たちはどうしようもなく危うくて愚かな存在」だと繰り返し言われた。「加害者」としてのチッソや国が持っていた「欲望」やその他の「因子」が「間違いなく私の中にもある」と言われた。そこから「私がチッソであった」という認識に至る。

 今回の訪問の時には「人間の罪」という言葉は出なかったが、それを示唆する言葉はあった。今の社会は「行き詰まっている。この文明社会が突きつけられているのは、やっぱり人間とは何かという」問題だと言われ、「文明社会の問題として、水俣病事件も原発のことも沖縄のことも」同じだと言われた。「水俣は来年70年だ」と言うが、そうではなくて「一言で言えば、人が人を人と思わなくなった時からじゃないのか」。水俣事件を「生命史の中に歩みを捉え直さないといかんのじゃないかなと思っています」と言われたのは同じ文脈の中である。本(『チッソは~』)の中では、認定申請を取り下げた理由を「水俣病事件の本質的な責任のゆくえ」を追いかけていたからで、「構造的な責任の奥に、人間の責任という大変大きな問題がある」という気がしたと述べている。また、「埋め立て」について、それは水俣湾の埋め立てだけではなく、さらに「土木工事としての埋め立て」だけでもなく、私たちは「沢山の仕組みや制度」によって、「命の真実を埋め立てて 」きたと述べる。まさしく、福島の原発事故もまた、補償金などの「仕組みや制度」によって、あるいは「復興」という虚構によって埋め立てられようとしている。正人さんはそのことを「人間の罪深さを埋め立ててきてしまったんじゃなかろうか」と述べる。「それは海や山に対する罪深さ」だと言われた。

  正人さんは認定申請を取り下げた後、「常世の舟」と名付けられた木の舟に乗り、緒方正人という「個」に戻り、チッソの玄関前に座って「身を晒そう」とする。

 罪とか責任というものを共に負いたい。あんたたちばっかり責めんばい。私も背負うという気持ちになったんです。(『チッソは~』)

 命の尊さ、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが水俣病事件の問いの核心ではないかと思っています。(同上)

 「罪を背負いなおすこと」、「共なる、共々の人間の罪として背負いなおすというそれぞれの課題として背負いなおすことが一番大事な本質的なことのように思えます。」(同上)

 女島のお宅で、正人さんの言葉に触れて、このことが正人さんの啓示だったのだと納得できた。

 震災と原発事故は私の精神を直撃した。その日以来、本を落ち着いて読むことすらできなくなってしまった。一方で、何かしなければならないという焦燥感が募っていった。そういった想いを共有する仲間と始めた公開の勉強会が「エチカ福島」である。第1回は2013年2月に開催された。僕は『僕たちの責任を問う』と題して話をした。副題は「出発点に立つ(新しく生きるために)」である。私は勝手に「共鳴」ととらえている。

Writer Koichi Fukase (researcher in philosophy)
ライター/エチカ福島 深瀬幸一福島県立高校 国語科教員

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